DESIGNTIDE TOKYO 2012/2012.11.13
先日、デザイン・プロジェクトrabbit holeで出展させていただいたDESIGNTIDE TOKYO 2012が終了しました。今回もたくさんの方にお越しいただき、色々なご意見をいただきました。友人達との、また仕事上の様々な出会いがあり、今年も印象深い一週間となりました。
色鉛筆を出品していたことから、図らずも小さな子供がたくさんブースに集まって、その場を離れようとしませんでした。このプロダクトにも多くの可能性を感じています。
お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。今後はより充実した活動を行なっていきますので、引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。
夕方と夜のあいだに/2012.8.4
夕方、街灯が一瞬パチパチッと明滅して、明かりが点く瞬間を見た。そのとき、なぜか街全体が急に暗くなったような気がした。僕は夕方と夜のあいだに佇んでいて、その境界線をくぐり抜けたようだった。
街は急には暗くならない。明るくなった街灯に対して、相対化された街が暗く見えたのだ。相対的な世界。その境界線に佇んで、関係性の結び目を試行錯誤することはデザインの醍醐味でもある。
気がつくということ/2012.3.9
佐藤雅彦さんの「考えの整頓」(暮しの手帖社)を読んだ。これは、雑誌「暮しの手帖」に連載された同名の連載27編をまとめたものだ。日常のなかの些細なことに言葉にならない引っかかりを感じ「おやっ?」と思うことが全てのはじまり。著者は、まだ「疑問」ですらないその小さな小さな違和感を大切にし、感覚を手繰りよせ、丁寧に紐解こうとする。そして時間差で「なるほど」がやってくる。
多くの人がスルーしているであろう極小の違和感。これを察知するためには、まず外側の世界に対して感覚が開かれていること、その次に「反応している自分自身」に気付く必要がある。身体は敏感だ。だから僕たちはきっと感じているのだ。「気づき」とは僕等の意識が身体に追いついた瞬間のことをいうのかもしれない。
デザインの射程/2012.2.1
先日、京都造形芸術大学情報デザイン学科の鈴木ゼミの学生(3回生)による「ことば、 」展が終了しました。
言葉をテーマに、14人の学生が企画、広報、会場の展示プラン、図録のデザインまでを行なうことで、ひとつの出来事を作るための一連の流れを経験する、というのがこの授業の中身です。料理するのは大変だけど食べるのは一瞬。あれだけたくさんの時間をかけて話し合い作ってきた企画も、会期が終われば空っぽのギャラリーと一冊の図録(これが大事)が残るだけです。僕は学生たちに最善のことが出来ただろうか。色々とある反省点は次回のゼミ展に生かしていきます。
僕の仕事は大きく分けて3つ。「自主制作としてのデザイン」「クライアントワーク」それから「大学の先生」です。そこには明確な違い(形として残るか、記憶として残るか)があるけど考え方は同じです。一本の必然的な線を引くこと。それが人を少しでも幸せにすること。
底冷えする空気のなか、ゼミ展のために遠方まで足を運んでいただいた皆様、また、ギャラリー(Division)をはじめ、授業の運営に関わっていただいた全ての皆様、本当に有り難うございました。
DESIGNTIDE TOKYO 2011/2011.11.6
DESIGNTIDE TOKYO 2011が終了しました。see-sawとrabbit hole、二つのプロジェクトから発表したプロダクトを、多くの方に見ていただくことが出来ました。足を運んでいただいた皆様、また、様々なかたちでご協力いただいた皆様、本当に有り難うございました。
プロジェクトはまだ始まったばかりです。これからの展開にご期待ください。
ピンホール/2011.9.12
月が世界に開いたピンホールだとすると、僕らはあちら側から投影された、反転した映像にすぎないのかも。今日の月はそんな感じだ。
花火/2011.8.6
中津から淀川の花火を見た。ビルの谷間から見える打ち上げ花火。高いところや低いところで、絶妙の間で開く花。老若男女の口から自然と「わぁっ」って声が出る。花火って凄い。デザインにもこんなこと出来るかな。
拓本/2011.5.28
先日、space_inframinceで開催中の「武田晋一のアプローチ」を観に行ったので、その感想を少し。
武田さんにとって、作品の構造や形を決定するイニシアチブは明らかに自分の外部(作品が置かれる環境や、外から見た身体)にあると思うのだけど、その作品からくる違和感は、それらが、さも用途があるかのように見える(多くは「椅子のような形」をしている)ことによって生じているのだと思う。「椅子のような形」が作品の抽象化をくい止めているおかげで、僕らはその作品に入り込むきっかけを与えられる(椅子に腰掛けた経験はほぼ誰にでもあるはずだ)。
当たり前だけど、靴は足の形を基準に作られるし、ドアノブは人の手の形や位置を無視出来ない。そんないちいちの対応関係が拓本(凹と凸)のように刻印されているのが世界だとしても、武田さんの作品から汲み取れる情報はそれほど単純でもないようにも思える(レイチェル・ホワイトリード? アントニー・ゴームリー? )。また、作品を背中に担いで会場にあらわれる独特の搬入スタイルも、モバイル(移動)=身体と密接に結びついているんだと思う。一回に一人で持ち運べる量が作品の形態にも影響しているのではないだろうか。
その日も、「これは椅子なのだろうか」という問いは行き場を失ってしまった。だからそのかわりに、アートとデザインの境界について思いをめぐらせるしかなかった( そんなこと興味がないはずなのに)。
穴掘り/2011.5.27
ここ数ヶ月、兎の穴を掘ってます。年末にはあちら側へ貫通すると思う。



